夜空に花火が開くと飛ぶ「たまやー」「かぎやー」の声。誰かの名前を呼んでいるようですが、指しているのは江戸の花火師の屋号です。しかも、この二つは最初から並んでいたわけではありません。

先にいたのは「鍵屋」。玉屋はそこから独立した
国立国会図書館のレファレンス資料によると、江戸の花火師として先に名を上げたのは鍵屋です。のちに鍵屋で働いていた清七が独立し、1810年に玉屋を名乗ったとされています。
国立国会図書館の展示資料によると、両国の川開きでは上流側を玉屋、下流側を鍵屋が受け持ち、二大花火師が腕を競いました。見物客が出来栄えをたたえて「玉屋」「鍵屋」と声をかけたことが、あの掛け声につながったと説明されています。
「たまや」「かぎや」は、いわば花火師への喝采
現代なら「今の演出、すごい」と拍手する場面で、江戸の観客は担当した花火師の屋号を叫んだ。そう考えると分かりやすいでしょう。
国立国会図書館の暦の展示でも、鍵屋と玉屋が川開き花火の発展に貢献し、「かぎや」「たまや」の掛け声で有名になったと紹介されています。単なる調子のよい合いの手ではなく、目の前の技術に対する評価の声だったわけです。
玉屋は一代で消えた。それでも声は残った
玉屋の歴史は長くありません。国立国会図書館の展示資料では、1843年に火事を起こし、財産没収・江戸追放・家名断絶となったとされています。独立から約30年余りで、玉屋は姿を消しました。
それでも「たまや」の声は消えませんでした。実際の店がなくなったあとも、花火の見せ場をほめる言葉として定着したからでしょう。現在の花火会場で聞く声には、江戸の観客の応援がそのまま残っています。
両国の花火は1733年から
東京都江戸東京博物館によると、両国の川開きの花火は1733年5月28日(旧暦)に鍵屋が打ち上げたものから始まったとされています。現在のような大規模な大会ではなく、当時の記録では一晩に20発前後とされるものの、博物館は数字の根拠には注意が必要とも記しています。
のちに中断を挟み、1978年から「隅田川花火大会」の名で復活しました。三百年近く形を変えながら続く花火の歴史に、二つの屋号だけが短い掛け声として残ったことになります。
よくある疑問
玉屋と鍵屋は人の名字?
掛け声が指すのは花火師の屋号です。当主は屋号と結びついた名を名乗りましたが、「たまや」「かぎや」と叫ぶときは店・一門への喝采と考えるのが近いです。
どちらを叫ぶのが正しい?
現代の花火大会で、担当業者を判定して叫ばなければならないという決まりはありません。言葉の由来を知ったうえで、見事な一発への掛け声として楽しめます。
花火が上がった瞬間だけ残る二つの屋号。玉屋は短命でしたが、名前は夜空の定番として鍵屋と並び続けています。
見たもの
- 国立国会図書館「初級 第3問(花火)解答」(二大花火師と掛け声)
- レファレンス協同データベース「花火のかけ声はなんというか」(玉屋の独立時期、掛け声の由来)
- 国立国会図書館 第132回常設展示資料(玉屋・鍵屋の担当場所、玉屋の断絶)
- 江戸東京博物館「隅田川の花火のはじまりと変遷」(1733年の始まり、中断と復活)
- Unsplashの写真ページ(画像の作者・利用条件)
確認日:2026年8月6日。画像:Joshua Rodriguez / Unsplash(Unsplash License)。